2012-05-18 親は様子をうかがう、の巻
さまざまなテキスト本は、何のために書かれているかわかるか?
野菜の育て方を教えるためというのはもちろんだが、
"これを育てるにはこれが必要" "この病気になったら、もうだめ。処分してやりなおせ"
と、書くことによって、読者の不安をあおり、消費を促すという目的もあるのである。
一方、われわれの野菜作りはなんのためにやっているかわかるか。
美しい野菜をするためか。農具のショッピングを楽しむためか。
いや、違う。土が育ち、野菜が育つ、その過程を楽しむためなのである。
つまりは、完璧な野菜が出来なくてもいいのである。
(ある日の坊主のおことば。ちょっと脚色)
茄子とキュウリの様子が思わしくなく、最悪の場合を想定しすぎていたのだが、
上述のありがたいお言葉もあり、とりあえず今日、畑を見に行ってみて、
様子がよくなくても、生かすか殺すかの決断はまだしない、ということにした。
よく晴れている。
私たちの借りている畑は、水道栓が近くにはないので、水をやるときは
ジョウロをもってタンクまでくみにいかないといけない。
タンクまでは、15Mぐらいか。
なんとか自動で近くまで水を引く仕組みを考えたいものだ。
隣近所のベテランさんたちも、皆、黄緑色のもっともジョウロらしいジョウロをもって、何往復もしている。
お茄子さんの様子。
うーん、あいかわらずいまいちといえばいまいちだが、さらに悪化した、という風にも見えない。
きゅうり。
茎の部分が縦にけずりとられているようにも見える。
この苗は、全然育っていない。なんかの虫にやられてるのかな?
根もぐらついている。とりあえずがんばれ、と励ます。
きゅうり。うーん、この子の白いはんてんはやはりきっと病気かな。
次回手当をしなければ。
他の子たちは、根がしっかりはってきて、安定してきた模様。
種で植えた子たちは、モロヘイヤ以外はほとんど変化なし。
モロヘイヤだけ、もりもり芽が出てきている。
かえるもいました。
お坊さんの大活躍により、一畝あたり、3〜4杯のジョウロの水やりも無事おわりました。
今日はジョウロが一個だったので、次回水やりに行くときは、ベランダ用のジョウロも忘れず持って行くようにしなければ。